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今回は、高田馬場の流鏑馬が奉納される穴八幡神社に来た。
高田馬場は江戸時代の旗本たちが馬術を磨いた場所で、今では住所が西早稲田になっている。
最寄り駅は高田馬場ではなく早稲田だ。
流鏑馬が盛んに行われていたのは、合戦において主に弓馬の術を競う個人戦が行われていた鎌倉時代であるという。
その後、集団戦術への転換や新兵器の登場などにより廃れていたものを復活させたのが八代将軍徳川吉宗である。
各家に伝わる古書の調査、研究から流鏑馬儀式の制定を命じたもので、その 命を受けたのは、小笠原流20代小笠原貞政、現在まで31代を数えるという。
明治期には、高田馬場閉鎖と共に再び伝統が途絶えていたが、昭和になって再興され、現在は体育の日に開催される新宿区の文化財行事となっている。


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穴八幡神社


流鏑馬の奉納される穴八幡宮に来た。
寛永13年に弓持組頭の松平新五左衛門尉直次が的場を築き射芸の守護神として奉祀したことがルーツであるという。
境内には、神事の参加者が参集し、馬のスタンバイなども行われている。

穴八幡神社 穴八幡神社

行列を組み続々と社殿へと参集、数十分に及ぶと思われる神事が行われる。

穴八幡神社 穴八幡神社

社殿の横では馬たちが待機。

穴八幡神社 穴八幡神社

穴八幡神社 穴八幡神社

穴八幡神社から早稲田通りへと下りてきた馬たち。沿道から好奇の視線を浴びている。
この後は、行列を組み流鏑馬会場となる戸山公園へと進軍していくらしい。

穴八幡神社 穴八幡神社

戸山公園


場所取りのため一足先に戸山公園に来た。
この戸山公園は穴八幡神からほど近い場所にあり、尾張藩徳川家下屋敷の跡地という歴史があるらしい。
すでに、観客の江戸庶民(推定)が集まっていたが、なんとかコースに張られたロープの最前列に陣取ることが出来た。
このストレートを鎌倉武士の狩装束姿で騎乗した射手が、200mあまり疾走し、その間に3つの的を射るのだという。
自分は、一の的のやや後方にいるのだが、二の的、三の的は残念ながら逆光でほとんど見えない。
行列の到着が遅れ、予想以上に待ちくたびれた頃、ようやく一行が姿を見せた。

流鏑馬 流鏑馬

出走の馬が5頭と、その他、運営スタッフであろうか。流鏑馬の的も見える。

流鏑馬 流鏑馬

流鏑馬は、鎌倉時代からの由緒があるという小笠原流の流儀により執り行われる。
行事の間は、流鏑馬や小笠原流の歴史、装束、装備、儀式についてなど、マイクで詳細な解説が成される。
正直、とても覚えられるものではないが興味深く聞くことが出来る。
「流鏑馬始候の」宣言の下、いよいよ開始。マイクでは射手と馬の紹介がなされる。
射手には、例えば、小笠原○○源○○のような、古式に則った?覚えられないような長い名乗りがある。
ちなみに、一頭目の馬名が“ジョイナー"だったことには思わず観衆からも笑いとつっこみが・・・
馬がスタート地点に、牽かれると間髪を入れずに走り出す。

流鏑馬 流鏑馬

惜しくも的を外れる矢。しかし、馬のスピード感や、馬上から矢を射る光景は迫力十分。
やはり、日本古来の大弓が風格を感じさせる。
マイクでは、一射ごとに解説が、的を外した際には“前日の雨でコースコンディションが・・・・"と釈明?

流鏑馬 流鏑馬

コンパクトデジカメの限界。スポーツモードと連写モードでも馬のスピードにには付いていけない。
写るのは2枚か3枚か。

流鏑馬 流鏑馬

見事、的中!砕け散る的。観客からの拍手と歓声が飛ぶ。
ちなみに、上の画像と比較して、ブレているのは、この馬のスピードが本当に速いから。

流鏑馬 流鏑馬

エース登場!流鏑馬の取りを務めるのは小笠原流宗家嫡男。
まさに武門の面目!華麗に的を射抜く次期32代目の雄姿。

流鏑馬 流鏑馬

始めの五人で、正式な流鏑馬は終了したようなのだが、その後も騎射が繰り返される。

流鏑馬 流鏑馬

流鏑馬 流鏑馬

(左)肩に掛かる白い布は、3つの的をすべて射抜いた証。一際大きな拍手の中コースを引き返してくる。
(右)この日が初陣。若干、中学1年生にしての出場だとか。

流鏑馬 流鏑馬

太平の世とはいえ本物の武士によって行われた江戸時代の流鏑馬は、現在よりも的中率が高かったようである。
ただし、当時は馬の体格も小さく、スピードも今より遅かったのだともいう。

流鏑馬 流鏑馬

すべての、騎射が終了し最後に行列を組んで引き上げていく。

流鏑馬 流鏑馬

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