HOME(イベント)<<谷中七福神めぐり


昨年、初めて「七福神めぐり」というものを雑司ケ谷でやってみた
その流れで、今年は、「谷中七福神」を巡ってみることにした。
2つの七福神の違いは、雑司ケ谷が数年前に設定された新しいものであるのに対して、
谷中七福神は、江戸最古(江戸中期 宝暦年間)のものであるという。
また、谷中七福神は、お寺のみで構成されているところも特徴だ。
というわけで、スタートはJR田端駅前から。
ここから、日暮里、谷中、上野方面へと歩いていく。


東覚寺(福禄寿)清雲寺(恵比寿)修性院(布袋尊)長安寺(寿老人)天王寺(毘沙門天)護国院(大黒天)
不忍池弁天堂(弁財天)


一つ目に訪れたのは、田端にある東覚寺だ。
延徳3年(1491)創建の真言宗寺院で、赤紙仁王が有名であるが、今回の目的は七福神である。
本堂に向かうと、福の神に祈る江戸庶民(推定)で、それなりの列が出来ている・・・
と思ったが、本尊は不動明王で、福禄寿は左手の社務所にいるらしい。



本堂の裏手に回ると台地を利用した本格的な日本庭園が姿を見せる。
期間限定の公開らしいのだが、こんな庭があるとは知らなかった。



(左)池に糸を垂らす恵比寿さん。
(右)斜面から池を見下ろす。



(左)庭には七福神が揃い踏み。中でも弁財天がデカイ。
(右)ここでの本当の主役「福禄寿」。社務所に祀られている。




田端から西日暮里へと歩き、臨済宗寺院の清雲寺へと向かう。
諏訪台の下に位置する清雲寺は、並びにある修性院と共に花見寺として江戸庶民から親しまれたお寺だという。
参詣の列が出来ている本堂は昭和30年再建のようだが、近代建築ではなくお寺らしい風格のある建造物だ。



鯛を釣り上げた「恵比寿神」。定番のスタイルであろう。




清雲寺を出るとすぐに、「ひぐらしの布袋」が描かれたのピンクの壁が見えてくる。
江戸時代、日暮里界隈は、風光明媚な行楽地として知られ、花見寺の異名を持つ修性院は景観の中心を担う存在であったという。



修性院は、天正元年創建とされる日蓮宗寺院だ。
境内には、江戸っ子に人気の庭園があり、浮世絵のテーマなどとしても多用されたという。
しかし、現在は、こぢんまりとした境内にその面影は感じられない。
(右)本堂にどんと座る「ひぐらしの布袋」は、今も抜群の存在感を放っている。



諏訪台へと上る富士見坂から富士山を望む。
東京で富士山がちょっとだけでも見える貴重な富士見坂として絶滅が危惧されているスポットだ。
この日は、晴れの寒い1日で風もあったため、ビルの間からくっきりと富士山の頭が見える。



住所では、西日暮里から谷中へと入ってきた。
(左)正面は谷中銀座へ下りる坂。ただ、今日はそちらには行かない。
(右)元祖谷中七福神そば(700円)というものがあるらしいのだが、今回は先に進む。




続いては、享保年間創建とされる臨済宗 長安寺だ。
狭い境内の右奥に本堂があり、そこで「寿老人」を見上げる。寿老人にお供の牝鹿というは定番であるらしい。



(左)何やら立て札の方に行ってみると、これは狩野芳崖の墓だという。
芳崖は、いわゆる狩野派の絵師で、幕末から明治にかけて活躍した最後のメンバーの一人であるという。
日本画の近代化をリードし、東京美術学校(現東京芸術大学美術学部)の創設に尽力したのだとか。
(右)長安寺を後にして、後方の谷中霊園に向かう。




谷中霊園を日暮里方面に進むみ、次の目的地 天王寺を目指す。
天王寺は鎌倉時代創建とされる古刹だ。当初は、感應寺という日蓮宗寺院であったが、徳川幕府の不興を買い天台宗に改宗している。
江戸時代(享保頃から)には、富くじの興行で人気を集め、湯島天神、目黒不動と共に江戸の三富と称されたという。



境内へ入ると列は毘沙門堂へと続いている。



(左)行列待ちが結構長かったので、なんとなく写した鬼瓦。
(右)毘沙門堂の奥に立つ影が平安時代のものだという毘沙門天だ。




谷中から上野桜木を経て住所では上野公園に入る。その上野公園という住所の片隅にひっそりと護国院の境内がある。
寛永元年に創建された天台宗 護国院は、旧上野寛永寺の子院だ。
古めかしく見える本堂は、享保年間に再建されたものだという。その中で「大黒様」は静かに佇んでいる。




池之端を歩き不忍池まで来た。谷中七福神の最後(こちらが最初か?)は、お馴染みの弁天堂だ。
この弁天堂は、上野公園の清水観音堂や五重塔と共に旧寛永寺の堂宇であるが、建物は昭和33年に再建されたものだ。
不忍池を琵琶湖に見立てた天海僧正が竹生島の弁財天になぞらえたものであるという。



(左)弁財天が見当たらなかったが、実は中央にしっかりと祀られている。弁天堂なので本尊で当然なのだが、よく見えなかった。
(右)お堂を出ると、団体さんでも来たのだろうか随分と列が長くなっている。



上野駅に向かう途中、なんとなく清水観音堂にも上がってきた。
江戸時代(安政の頃)の地図を見ると、ここが谷中七福神の1番目となっている。
そもそも七福神のラインナップというは結構変遷があったりするものらしい。
といったところで、今年の七福神めぐりも終了。来年もまた気が向いたら出かけるかも。



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