HOME(イベント)<< 千寿七福神

千住といえば、江戸時代に日光街道および奥州街道で最初の宿場町があり、東国への玄関口となっていた事で知られる街だ。
七福神にも、いかにも伝統がありそうだが、意外にも平成生まれの町おこし的なイベントだ。
とはいえ、七福神は江戸由来の行事であり、千住にはルーツの古い寺社も多いので、歴史的な雰囲気は感じられるであろう。
今回は、北千住駅西口側の神社だけ7社で構成されたコースを歩く。
※ 江戸の地図=幕末の安政3年ごろ


恵比寿天(千住神社)

はじめに訪れた、千住神社は名前からして千住を代表する神社だ。
住所の宮元町というのも、地域の中心となる神社の門前町に由来する印象がある町名だ。
ただ、現在の○○町という住所は、昭和になってからのものが多く、江戸時代は千住二丁目、明治では千住町だったらしい。
境内には、「八幡太郎義家陣営の地」の碑があり、奥州遠征に赴く源義家が戦勝祈願したという。
7月1日だけ登れるという富士塚もあるが、これは昭和に再建されたものらしい。

千住神社 千住神社

まずは、社殿にお参り。
江戸の地図を見ると、千住神社の場所には「稲荷神社」「氷川神社」が併記されている。
千住神社の歴史は古く、 平安時代の延長4年に千崎稲荷神社が創建され、さらに鎌倉時代の弘安2年には氷川神社が創建、その2社が明治6年に合祀されたものが西森神社で、千住神社のルーツになっているという。 ルーツの一つとなっている氷川神社は関東に多いが、千住で一番多い神社でもある。

千住神社 千住神社

いつからの風習なのかは分からないが、願い事を念じながら3回まわして、白いハンカチで撫でるという恵比寿天。
ちなみに、撫でる場所でご利益が違い、恵比寿様らしく商売繁盛はというと、鯛を撫でるらしい。

千住神社 千住神社

毘沙門天(八幡神社)

引き続き千住宮元町。国道4号線にある小さな八幡神社(白幡八幡神社)に来た。
この神社も源義家の奥州遠征に由来する神社で、渡裸川の渡し場(千住大橋のやや上流)に白幡を立て戦勝祈願したなんて話が、白幡八幡神社という社名のルーツになっているらしい。 実際に神社が建てられたのは、明治41年のことで、これから訪れる事になる仲町氷川神社の摂社であったという。

八幡神社 八幡神社
八幡神社 八幡神社

福禄寿(稲荷神社)

国道4号線を渡り、千住河原町までくると、次の河原町稲荷神社がある。
河原町には、「やっちゃ場」と呼ばれた青物市場の歴史があり、それが現在の足立市場(魚市場)へと繋がっている。
そして、それらの鎮守として信仰されてきた神社であるという。
ここは、江戸においても千住河原町で、場所がら、商売人・職人が恵比寿天や大黒天などを信仰していたという。

稲荷神社 稲荷神社
(左)狛犬は足立区最大のもので、「やっちゃ場」の商人たちにより寄進されたという。
(右)由来的には、恵比寿天や大黒天になりそうだが、千寿七福神では、福禄寿が祀られている。

稲荷神社 稲荷神社

源長寺


墨堤通りに入り、旧日光街道との交差点に源長寺がある。
ここ千住仲町は、江戸期には、掃部宿と呼ばれた地域で、源長寺は、その開拓者である石出掃部亮ゆかりの寺だ。 以前は、七福神の寿老人としてコースに入っていたが、平成20年に組み換えがあり、お寺を中心に4拠点が脱退したのだという。


弁財天(氷川神社)

千住仲町の路地に仲町氷川神社はある。
創建は平安時代とされる古社で、江戸初期の元和2年に牛田(現在の千住曙町)から移転し千住掃部宿の鎮守となったという。

氷川神社 氷川神社

弁財天は、元禄期の庚申塔で東京では唯一とも言われる珍しいものらしい。

氷川神社 氷川神社

学問の神様、藤原道真を祀る関屋天満宮。
関屋は、現在も千住関屋町で、そこから江戸後期の天明七年に境内に移ってきたとある。
天神様では定番の梅の名所でもあったらしい。

氷川神社 氷川神社

勝専寺


旧日光街道から赤門寺 勝専寺が見える。
このあたりは、江戸でも現在でも千住2丁目で千住宿の中心エリアだ。 勝専寺の本尊、千手観音立像は千住という地名のルーツとも言われ、 また、江戸期には将軍が日光参りの際に逗留するなど、 千住宿の重要拠点の一つに数えられる。
以前は、七福神の毘沙門天としてコースに入っていたが、現在は脱退している。


大黒天(千住本氷川神社)

旧日光街道から路地を抜けると千住本氷川神社がある。
鎌倉時代、牛田に創建され、ここには、江戸初期に分社として建立されたという。
このあたりも江戸から続く千住3丁目で、やはり千住宿の中心エリアにあって一帯の鎮守であったという。
大黒天は、旧社殿にあり、千寿七福神では、唯一御開帳時にしか拝観できない。

千住本氷川神社 千住本氷川神社

(左)龍の彫り物。旧社殿は造りも装飾も風格がある建物だ。
(右)大黒天。

千住本氷川神社 千住本氷川神社

現在の社殿と狛犬。

千住本氷川神社 千住本氷川神社

千住寿町には、東京の代表的な昭和の銭湯「大黒湯」がある。
特徴的な破風屋根の下に大黒天が彫られている。

大黒湯 大黒湯

塀の上には、恵比寿天と布袋尊の姿も見られる。

大黒湯 大黒湯

布袋尊(五丁目大川町氷川神社)

千住新橋の袂、荒川放水路の堤防下にある大川町の氷川神社も鎌倉時代の創建と伝わる古社だ。
五丁目というのは、江戸時代の千住五丁目で、当時は荒川放水路はなく堤防の上辺りに位置していたらしい。

大川町氷川神社 大川町氷川神社

布袋尊と社殿にお参り。

大川町氷川神社 大川町氷川神社

境内にある「千住川田浅間神社富士塚」は、江戸の文政7年に築造されたもので、江戸庶民の間で流行した富士講の遺構だ。
富士山の溶岩を3m積み上げたものであるといい、東京では数少ない、いつでも登れる富士山だ。

大川町氷川神社 大川町氷川神社

千住元町にある「たから湯」も千住の有名な銭湯だ。

タカラ湯 タカラ湯

破風屋根の下に七福神が乗る宝船が彫られている。

タカラ湯 タカラ湯

寿老人(元宿神社)

千寿七福神、最後は元町にある元宿神社だ。
なんでも、鎌倉時代からある古い集落を「千住宿」に対して「元宿」と呼んだのだという。
江戸の地図で見ると、「元宿」は現在では西新井橋周辺の荒川とその河川敷に位置し、そこに稲荷神社の記載がある。 また、現在、元宿神社のある場所には八幡社と記されており、 元宿神社の祭神が、誉田別命(八幡神)と宇迦之御魂命(稲荷神)であることから、この二社がが合祀されたものではないかと思う。

元宿神社 元宿神社

最後に寿老人に参拝。

元宿神社 元宿神社

色紙


今回は、なるべく最短ルートをサクッと歩いた。
ただ、さほど、広いエリアではないので、計画的に歩けば七福神と千住宿の歴史といったような回り方も可能だと思う。