HOME(イベント)<<雑司が谷七福神めぐり

今年、「七福神めぐり」というものに初めて挑戦する。そんな大げさな事ではないが・・・
「七福神めぐり」とは、言うまでもないが、地域の寺社を巡り福の神にお祈りする新年の風物詩である。
「七福神めぐり」は、様々なエリアで行われているのだが今回は雑司が谷を訪れた。
「雑司が谷七福神」は、2011年に街興し企画とし設定されたという新しい七福神だ。
ルートの基点となりそうな有名所は、雑司が谷鬼子母神ぐらいのもので、後は日蓮宗の4寺院と神社1、その他1といった構成となっている。
巡るのは、主に南池袋と雑司が谷界隈でJR池袋駅や都電荒川線の鬼子母神前、副都心線の雑司が谷などが最寄りとなる。

雑司が谷鬼子母神(大黒天)観静院(弁財天)中野ビル(布袋尊)仙行寺(福禄寿)大鳥神社(恵比寿)
清龍院(毘沙門天)清土鬼子母神堂(吉祥天)

(左)都電荒川線の鬼子母神前停留所。
(右)雑司が谷鬼子母神の参道。



参道には案内所がある。
ここで、御朱印を押す色紙を買い、七福神めぐり用の周辺マップをもらう。
参道を進むと最初の目的地である雑司が谷鬼子母神が見えてくる。



雑司が谷鬼子母神
 大黒天(開運・福徳)


七福神めぐりは、たぶん、どこから始めても良いのであろうが、 やはり、最もメジャーなここを起点とする人が多いようだ。
ツアーで来る団体さんが多いこともあり、境内には結構な数の参拝客がいる。
(左)江戸時代(寛文4年)のものだという社殿。
(右)鬼子母神像。

鬼子母神 鬼子母神

今回の主役は七福神なので、本堂右手にある大黒堂にお参りする。
お堂の前に御朱印のスタンプが置いてあるので自分で押す。

鬼子母神 鬼子母神

鬼子母神の境内を出ると法明寺へと続く参道がある。
雑司が谷鬼子母神は、江戸時代、この地域で勢力を張っていた法明寺にあったお堂だという。
参道には、現在のその法明寺の塔頭寺院がいつかあり、その一つ観静院が次の目的地だ。

観静院

観静院
 弁財天(学問・芸術)


観静院


とても、こぢんまりとした境内のお寺に来た。
現在の本堂は、よくある近代建築に見えるが、どうやら、この一帯は太平洋戦争時の空襲に見舞われているようだ。
観静院は、元禄初期に創建されたという法明寺の塔頭寺院で、伝承では、 文禄・慶長において加藤清正が守護神とした天神堂がルーツであるという。 境内を入ると、左手に石碑の弁財天が見える。



観静院 観静院

通り道ということもあり、参道の先にある法明寺にも立ち寄る。
法明寺は、平安時代(弘仁元年)創建と伝わる古刹で、江戸時代には14の子院を持つ有力寺院であったものが、 関東大震災と戦災で壊滅し、現在の建物は昭和のものであるらしい。

法明寺 法明寺

法明寺墓地の路地を抜けて南池袋東通り商店街に入る。
南池袋一帯は、賑やかな東池袋界隈とは趣の違う、やや静かな印象のある場所だ。
(右)南池袋東通り商店街。前が池袋駅方面で後方が雑司が谷だ。



中野ビル
 布袋尊(財福・円満)


布袋尊


コンビニ横の歩道に唐突な感じで七福神の幟と人込みが見える。
ここが、マップにある中野ビルの前らしい。
古くから石材建築を手がけたという中野家が祀っている布袋様だというのだが、 七福神に個人のものがラインナップされているとは意外だ。



布袋尊 布袋尊


マップによるとシアターグリーン通りなる道に入る。
左手に歩く一団が見えるが、これは、すでに参拝を終えて池袋駅に向かう人々と思われる。
次の目的地の仙行寺は、右に曲って、すぐのところにある。



仙行寺
 福禄寿(幸福・延命)


仙行寺


これまた、とても小さなお寺に来た。
この仙行寺は、明治に小石川の善行院と仙応院が合併し移転してきたものであるという。
ここに祀られているのは、一般的な印象とはかなり違う福禄寿だ。
「雑司が谷 華の福禄寿 妙法福禄寿尊」とあるのだが、由来などは・・・あるであろうが分からなかった。



仙行寺 仙行寺


仙行寺を後にして、ここからは、来た道を鬼子母神あたりまで戻る。
その途中、法明寺墓地の路地に隣接した威光稲荷にもお参り。
道に区切られてはいるが、ここも法明寺の境内ということらしい。




再び、鬼子母神の境内を通り参道まで戻ってきた。
写真では、右がスタート地点の鬼子母神前停留所方向。
真っ直ぐ進むと次の目的地大鳥神社に至る。
やがて、神社の境内が近づくと笛と太鼓の音が聞こえてくる。



大鳥神社
 恵比寿神(招福・繁栄)


大鳥神社も法明寺の系統と言える場所である。
なんでも、神仏分離になる以前は、鬼子母神境内に祀られていたのだという。
社殿に祀られている本来の主役は日本武尊であるが、 七福神では、西宮神社という末社にえびす様が祀られている。
しかし、そのえびす様は御神体ということでご開帳はされていない。 神社の御神体と言うのは、そういうものであるらしい。
現在、その御神体とは別に石像を建造中なのだという。

大鳥神社 大鳥神社

大鳥神社の前を都電荒川線が走っている。
ことあとは、線路の向こう側にある清立院を目指す。

大鳥神社 大鳥神社


都電荒川線の踏切を渡る。
前方は雑司が谷停留所で後方は鬼子母神前停留所になる。
前方には、東池袋方面、サンシャインのビルなども見える。



清立院
 毘沙門天(冨貴・擁護)


毘沙門天の幟が林立する階段を上がる。
雑司ヶ谷霊園に隣接する坂の高台に清立院はある。
室町時代に創建されたという清立院であるが、現在の建物は近代建築だ。

清立院 清立院

毘沙門天にお参りし御朱印のスタンプを押す列へとならぶ。
(右)大毘沙門天王。豊島区の指定文化財だとか。関ヶ原の戦いがあった1600年頃のものらしい。

清立院 清立院

(左)高台にある境内から見た南池袋の街並み。というほど見晴らせるわけではないか。
(右)昔は、丘陵に広い境内を持っていたことが伺える。

清立院 清立院


最後の7つ目を目指し雑司が谷弦巻通りなる商店街を進む。
道なりに歩くと不忍通りと平行して護国寺近辺に至る道であるが、住所は南池袋から雑司が谷、さらに目白台へと変わっていく。




道沿いにいかにも料亭という旧家がある。
やはり「雑司ヶ谷 寛」という料亭らしい。
なんでも、昭和初期の小説家だという三角寛の旧宅なのだという。
まあ、庶民には縁のない場所ってこと。




こちらは、現在マンションになっているが、菊池寛の旧宅跡だとある。
昭和初期の文壇の重鎮で、文藝春秋の創刊や芥川賞と直木賞の創設などで知られる人物だ。



清土鬼子母神堂
 吉祥天(安寧・息災)


最後に訪れた清土鬼子母神堂は、室町時代(永禄4年)に雑司が谷鬼子母神堂に祀られている鬼子母神像が彫り出された場所であるという。
雑司が谷の鬼子母神堂は神社で社殿が建っているのだが、ここの鬼子母神堂はお寺で本堂があるみたいだ。

清土鬼子母神堂 清土鬼子母神堂

七福神の最後は、寿老人ではなく・・・吉祥天だ。こういう編成もあるらしい。

清土鬼子母神堂 清土鬼子母神堂

旧雑司が谷町


清土鬼子母神堂の境内を出ると、このあたり一帯は旧雑司が谷町なのだと書いてある。 江戸時代(延享)から昭和41年まで使用されたという町名の由来として、 金剛寺(法明寺とも)の寺領で税を治めていた雑司料であるとか、建武の時代に遡って南朝方の雑司と呼ばれる役人が住んでいたなんて説があるらしい。



雑司が谷駅


都電荒川線の雑司が谷停留所で帰りの電車を待つ。

今回の雑司が谷七福神のエリアは、とてもコンパクトなものだ。
ルートも複雑なものではなく、大抵マップを持った人がぞろぞろ歩いているので土地勘がなくても簡単に回れるコースとなっている。




御朱印を押して回った記念色紙。



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